出会いの鋒(きっさき)の作品。『めめめのくらげ』

2011年7月16日


芸術新潮2011年2月号の企画
村上隆《リンガリンガ》
西村さんと出会ったプロジェクト

『めめめのくらげ』という企画は10年前、フルCGアニメーション作品として作り始めたものですが、紆余曲折があって、ながらくお蔵入りにしていたものです。それが、西村映造の西村喜廣さんとの出会によって、実写映画作品として蘇ることになりました。

西村さんとの出会いのきっかけは「芸術新潮」という美術雑誌での連載ヴィジュアル制作時でした。古くからの友人のスタイリストの柚木一樹さんに、連載の作品制作を度々手伝ってもらってて、その連載では、日本美術史家の辻惟雄さんが興味のあるテーマについて語り、僕がそれをヴィジュアル化する、という企画でした。

柚木さんが西村さんを紹介してくださった回はインドの『リンガ』(#1)というモノを再現せねばならず、その特殊メイクの担当者、として出会いました。

無事その連載も入稿され、なんとなく心に残る面白い座組だったので、うちあげの飲み会を開催しました、、、と言っても、僕はあんまり飲めないのですが。

で、宴も盛り上がり西村さんのお仕事のお話を聞きつつ、僕の映画やアニメ製作の悩み相談になりました。

西村さんは「第一回の監督作品ならば100%村上さんがやりたいものを造るべき。
デヴィッド・リンチの<イレイザーヘッド>のように!」と何度も何度も念押ししてきました。
まぁ、飲み会の席ですし、「ですね〜」みたいなリアクションで受け流してたのですが、その会も解散になって、さよならするときに、再び西村さんがぬぅ〜っと僕に顔を近づけてきて、「第一回の監督作品は〜」と口説き落とすような感じで、帰って行きました。

あんまりにも粘着な印象(悪い意味じゃないですよ!)だったんで、次の日、紹介者の柚木さんに電話をして、上記の経緯を相談したら、柚木さん、「西村さんは素晴らしいひとですよぉ〜」って、相談の主旨とはズレたざっくりしたお答え。でも、そこが決め手、みたいな。で、西村さんに電話することにしたんです。「西村さんのとこで映画製作できますか?」って。それが2010年の12月の初め頃。

脚本家の継田さんプロデューサーの福井さん、造形の大雅さん、VFXの鹿角さんらをどんどん紹介下さり、あれよあれよというまに企画制作が進んで、震災があっても、この企画は頓挫せず、粛々と進行、今日に至りました。

8月4日現在、作品は撮影が開始もされていませんが、僕やカイカイキキのスタッフが、こうして皆さんにお会い出来た経緯はこういうことでした。西村さんと僕が出会ってしまった事故みたいなもんに、皆さんもお付き合いくださる訳ですが、「めめめのくらげ」という映画作品は、きっと特別なものになると思います。

新しい出会い。
出会いこそ、大切な人生の宝物だと思います。


左から、塩崎遵助監督、西村喜廣監督補、村上隆監督

震災で日本は深刻なダメージを受けています。
ここからどうにかして抜けださなきゃならない。
それには、人と人の絆、、、っていいますか、西村さんの目、僕を口説いてくれた目のような、ああいう動物的なモノが大事な気がしてます。
そして、西村さんは僕や皆さんを召喚し、座組をしてくださいました。

僕の初監督作品なんですが、西村さんの子供みたいな作品、だとも思います。
口説かれて一緒になって「産み出す」みたいな。

僕は人と上手くコミュニケーションが出来ない。
だから作品を造って、心の中を他人と共有しなければ駄目だ!と、切迫感をもって作家になりました。
僕だけじゃなくて、結局モノ造りをしてゆくことを決めた人、ここにいるみんな、同じ穴のムジナだと思う。
作品に命をのっけて、必死に労働し、普通の人が出来ちゃう交流の何分の1かをやっと達成する。でも、そうやってしか社会と交流できない。

だから、手をとりあって、たった1つのメッセージを紡ぎあげてゆく。

そんな作品制作をみなさんと共有できればと思っています。
そして、その熱量が、映画を見てくれるみんなに、伝播してくれることを心から信じて、命を吹き込む事に労を惜しまず励めれば、と思います。

映画制作のことは、ここにいる誰よりも知らない人間が、こうした事を言うのも憚られますが、どうしても、この作品制作への初心をお伝えしたくて書き記しました。

「めめめのくらげ」制作開始。
改めまして、どうぞ宜しくお願いいたします。

村上隆


芸術新潮 2011年2月号連載 辻惟雄×村上隆ニッポン絵合わせ【十三番】リンガ