8/12 ① 制作現場スナップ写真

2012年8月19日
『めめめのくらげ1、2』を通してストーリーの大きな要素になっているのは、架空の宗教団体、『天地救世教会』の在り方です。宗教と日本人を改めて考えるに至ったきっかけは去年の震災です。絶対的な非常時において「科学の正論」を盾にしても、人心の救済は不可能である。割り切れぬ理不尽への対抗策として人々は宗教を起こさざるを得ない、方便を必要とする、という実態がリアリズムとして迫ってきました。
今、大きな社会問題になっている原子力発電における「科学という信心」もまた、方便であったということも露呈しました。方便は時に欺瞞と正義を纏い公然の嘘を共有しなければいけない。それが自然に対抗し、安楽な生活を希求する知的生命体人間の、哀しい現実であったりもする。
<デイリー放射能報告>ブログ版
僕自身、1970年代の子供の頃、戦後のどさくさで景気が良くなり、公害問題やベトナム戦争に反対する世相をみて正しさとは正義とはなんだろう、世界とはどのようになっているんだろう、と幼い心の眉をひそめていました。 そうした獏とした疑問にウルトラマンやウルトラセブン、ゲゲゲの鬼太郎のお話は方便で答えてくれた気がしたのです。科学では割り切れない、この世の理不尽の存在や、人間の心の闇に、この世の真実がある、ということを、子供番組でもあったはずのそれらが僕に教えてくれたのです。
『めめめのくらげ』シリーズは、戦後65年を経過した日本の茫漠とした存在の在り方に対して、僕なりにメッセージを伝えたい。人には友人が必要であり、協力していく社会がある。しかし、そこには同時に理不尽が存在し、理不尽を作り出す心の闇は必ずしも悪と断定できるものではない。社会が抱えざるを得ない要素としての、<理不尽・欺瞞・闇>の存在を子供たちにも伝えたい。そういう事で、この作品には、宗教団体の存在が必要不可欠である。そう思い、架空の宗教団体『天地救世教会』の在り方にこだわっています。
(看板にある『天地救世教会』の十戒はガーハーさんこと芳賀有悟さんが案出しして下さいました)
天地救世教会は災疫を逆手に取って勢力を拡大してきています。トレーニングされた教団員を表現するため、挨拶の仕方を何度も何度もエキストラさんたちに練習してもらいます。
男性と女性の礼の所作にも差をつけて。
ハイ、礼!
ビシッ!
天地救世教会のエンブレムがチラリと見えます。
塩ちゃんさんに教団たすきでネクタイがけするスタイリストの大隅麻奈美さん。
、、、(苦笑)